学生が「大人慣れ」することに対して思うこと

こんにちは。人材研究所の芳賀です。

今回は、学生時代に私自身も(今思うと偏った努力でしたが)力を注いだ、「大人慣れ」に関することを書きたいと思います。

(この文章は、学生に向けて書いた文章になります)

 

代表の曽和の持ちネタでもありますが、言葉には「意味的要因」と「音的要因」があります。 日本語の特徴でもあるのかもしれませんが、いわゆる「同音異義語」という言葉が、世の中には数多く存在します。例えば「雨」と「飴」は、音的には同じですが、意味は全く異なります。

 

当社の代表くらいの年代のおじさま方は、酔っ払うとオヤジギャクを連発する方々がいますよね。(たまに、酔ってなくても連発する方もいらっしゃいますが…)それにはちゃんとした理由があります。

酔っ払うと、意識が分散するようになり、言葉の「意味」を捉えるということを疎かにしてしまい、直感的に「聞いた音」に対して反応をしてしまうのです。それほどに、判断力が鈍ってしまっているということですね。

 

人事関係のお仕事をしている中で、最近すごくよく感じることがあります。それは、「言葉の意味」を正しく理解して、正しい意味で使えているかどうかで、仕事のクオリティが左右されたり、仕事を進めるスピードが大きく異なるということです。

また、相手の方が話している「言葉の意味」を正確に捉えることのできる能力が、ものすごく大切であることです。

 

今回のテーマである「大人慣れ」を学生のうちからしようとすると、(私がそうだったように)どうしても飲み会で大人の人に話をなんとなく「合わせる」ことや、「オヤジギャグ風若者ギャグ」を言い放ち、場を「和ます」ことなどに力を注ぎがちです。

確かに、そのような力も必要ではあると思います(し、「面白い(大人に慣れている)」ことが評価対象となる場合もあります)が、学生時代には、まずは言葉の意味を正しく理解して、より自分の思ったことを正確に相手に伝えられるように、相手の話していることを正確に理解できるように学ぶことが、「大人慣れ」することよりも大切ではないかと、私は考えます。

 

飲み会での俗に言う「オヤジギャグ」は、自分自身の意識が分散するようになってから、いくらでも思いつくのではないかと。

楽しみは、将来にとっておくことも、悪くはないのでは?