共有地の悲劇
1968年に生物学者ギャレット・ハーディンが表に出した、
『共有地の悲劇』という現象がある。
(『コモンズの悲劇』と呼ばれることもあるらしい)
たとえば、あるビルで無料で自由に使える倉庫部屋があったとする。
そうすると各テナントは、これまで自社内で保管していた資材などを
倉庫に移し、家賃を支払っている敷地内をより有効的に使おうとする。
最初の方は相手のことを考えながら控えめにおいていたものの、日が経つにつれ
「まだ置いてもいいだろう」「あの会社もこれくらい置いているし…」
とどんどん量が増えていく。
結果的にその倉庫は収容する限界点に達し、
・倉庫ありきで取り寄せたものの置き場に困る、
・必要なものがすぐに取り出せない。
などの弊害が生まれる。これが共有地の悲劇である。
このような現象は時間にも言えるのではないでしょうか。
例えば朝の時間、新人は社内環境を整備するタスクがある。
誰に監視されているわけでもなく、忙しければ無理して行う必要もない。
そういった状況で、例えば「朝の時間、新聞を読んで知識をつけたい」と思っていた時に
「もう少し新聞を読んでいても大丈夫だろう」「他の人が進めてくれてるから大丈夫だろう」
もしくは「他の人もまだパソコンに向かっているし自分も…」
という気持ちが生まれ、結果的に朝の掃除の時間が過ぎてしまう。
人の時間/労力も同様である。
「Aさんは仕事を進めてくれるのが正確で早いので何かあればすぐ頼ってしまう」
これを多くの人が実行してしまうと、Aさんは業務過多により本来の能力を発揮できないかもしれない。
もしくは体調不良により休職などになってしまうと元も子もない。
その人の持つスキルを他の人も習得することで長期的に見たときに効率的なのではないでしょうか。
倉庫にしても、朝の掃除の時間にしても、
いかに“共有地”を持続可能に、有効に使うかは、一人一人の意識と、
仕組みで解決できるのではないでしょうか。
村井